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「閻魔大王の真実を映す鏡」

いつもではない、ごくたまに作品のイメージがわいてくることがあります。

2015年の11月初旬のこと、伊邪那岐大神印に縁飾りをつけたデザインがふいに頭の片隅に浮かんできました。いつもはグラス底面に彫る伊邪那岐大神印を、縁飾りを付けて側面に彫ることにしました。

紙の上のデザインでは、なかなかカッコいいんじゃないか、自我礼賛していたものが、グラスに彫ってみたら、想像をはるかに超えてバランスが難しいのです。

何度も何度も修正を繰り返して彫り上がったときには、疲れすぎて椅子に座っていられなくなりました。這うようにしてベッドに横になったらそのまま寝入ってしまい、目が覚めたらすっかり夜になっていました。2時間以上爆睡してしまっていました。

そんなにして、ようやく出来上がった作品なのに、なんだか直視出来ないのです。グラス教室の生徒さんが「初花さん、それ怖いよ〜」と言うのです。

正直落ち込みました。

自分の在り方が間違っているから、このように人を不安に感じさせる作品を創ってしまったのだ、何が間違っているのだろう、自問自答しますが、分かりません。

その頃ちょうど七澤賢治先生にお目にかかれる機会があったので、恐る恐るそのグラスを先生の前にお出ししました。

「先生、こんなのが彫れてしまったのですが・・・」

そのグラスを手にした賢治先生は黙ったまま、角度を変えながら、しばらく見ておられましたが、「これは、閻魔大王の真実を映す鏡ですね。」そう真剣な表情で言われました。

『真実を映す鏡ですか?』狐につままれたようなポカンとしてしまっている私を見て、にこやかに笑いながら、賢治先生は言われました。

「普通の人は怖いと感じるでしょうね。ついに、神道と仏教を融合してしまいましたね。」

先生のお話を伺って、ようやく納得できました。なにせ、凡人ですから、自分の作品なのに、怖くて直視出来なかった理由が腑に落ちました。


ちょうどその時、同席していたO氏が絶賛してくださったので、『閻魔大王の真実を映す鏡』のグラスは、O氏にお使いいただくことになりました。

「自分の在り方のどこが間違っていたのだろう」と少なからずショックを受けていたのですが、それなりの意味のあるグラスを彫ることが出来ていたと知ることができました。

それだけで嬉しくて有難くて、その夜は幸せな気分に満たされた夜になりました。

その後O氏が「あのグラスは凄いですね。一つは神棚に、一つは毎日それで水を飲んでいるのですが、お陰でお腹の中真っ白ですよ!」と大変喜んでいただきました。

後日、私があのグラスを彫った頃、O氏は外部からの目に見えない影響を受けて、体調がすこぶる悪くなっていた時期だったことを知りました。

なぜ、あのようなグラスを彫ることになったのだろう、とずっと疑問でしたが、『閻魔大王の真実を映す鏡』は、Oさんのためのグラスだったのですね。

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